十二所神社
(じゅうにしょじんじゃ・ごんげんさま)
歴 史
前田の地名は室町期に見え、地内の阿弥陀堂旧蔵の鰐口銘に「奉地武州下足立十二月(しわす)田(だ)郷前田阿弥陀宝
前敬白」応仁三年(一四六九)七月十一日願主西誓とある。
「風土記稿」前田村の頃には、眞言宗宝林寺の境内社として「十二所権現社、村の鎮守なり、元は樋爪村の氷川を鎮
守とせり伝々」とある。当社は恐らく宝林寺の法印が本寺の宝厳院を介してこの十二所神社の分霊を祀ったことに始
まるのであろう。
当院は元禄十三年(一七〇〇)の社殿再建、享保十一年(千七百二十六)の鳥居造立、嘉永二年(一八四九)の鳥居
造立を記した棟札が残っている。嘉永二年の棟札には別当宝林寺のほかに「宝厳院法仰明随」の石も見える。
明治四十五年に大字八幡木の八幡神社に合祀されたが幸い社殿はそのまま残され、昭和二十六年に氏子の総意により
復祀が行われた。
信 仰
前田の権現様として十二所神社の「十二所」とは十二柱の神々の意で、熊野三山を歓講し奉斉するとに起源を有する
社である。熊野三山の主は祭神熊野本宮大社は家津(けつ)御子(みこ)神、熊町速玉大神、速(はや)玉男(たまお)神、熊
町那智大社は熊野夫(ふ)須美(すみ)神で、この三社が熊野三所権現と呼ばれたのであるが後にこの三柱(みはしら)のほ
かに天照大神を歓請して「若一(わかいち)王子(おうじ)」と称し更に八柱を加えて十二殿に鎮斉したことから「熊野
十二所権現」と呼ばれた。
蟻の熊野詣での諺(ことわざ)が生むほど歴代の天皇をはじめ浅野の信仰は篤く広いものがありました。
当社では天神七代地神五代の合わせて十二柱であると伝えられている。熊野神社の別称であるということもできる権
現様とは神仏習合時代、神社を権現様と云われてきました。
「神社本庁」「埼玉の神社本」より
名誉宮司 星野 信 二
宮司 嶋田 久仁彦