
十二所神社
(鳩ケ谷総鎮守 氷川神社の兼務社)
川口 十二所神社

境内のお掃除の日時が変更になりました。
毎月第3日曜日、午前9時よりです。



令和8年の年間行事
1月 1日(水) 元旦祭 午前11時
10月18日(日) 例大祭 午前9時
11月23日(月) 新嘗祭 午前9時
12月30日(水) 初詣準備 午前9時
12月31日(木) 初詣 午後10時
令和9年
1月1日(金) 元旦祭 午前11時
1月2日(土) 宅神 午後9時
2月3日(水) 節分祭 午後4時~
豆祈願 午後1時
2月21日(日) 祈年祭 午前9時

十二所神社
(じゅうにしょじんじゃ・ごんげんさま)
歴 史
前田の地名は室町期に見え、地内の阿弥陀堂旧蔵の鰐口銘に「奉地武州下足立十二月田(しわすだ)郷前田阿弥陀宝前敬白」応仁三年(一四六九)七月十一日願主西誓とある。
「風土記稿」前田村の頃には、眞言宗宝林寺の境内社として「十二所権現社、村の鎮守なり、元は樋爪村の氷川を鎮守とせり伝々」とある。当社は恐らく宝林寺の法印が本寺の宝厳院を介してこの十二所神社の分霊を祀ったことに始まるのであろう。
当院は元禄十三年(一七〇〇)の社殿再建、享保十一年(千七百二十六)の鳥居造立、嘉永二年(一八四九)の鳥居造立を記した棟札が残っている。嘉永二年の棟札には別当宝林寺のほかに「宝厳院法仰明随」の石も見える。
明示四十五年に大字八幡木の八幡神社に合祀されたが幸い社殿はそのまま残され、昭和二十六年に氏子の総意により復祀が行われた。
信 仰
前田の権現様として十二所神社の「十二所」とは十二柱の神々の意で、熊野三山を歓講し奉斉するとに起源を有する社である。熊野三山の主は祭神熊野本宮大社は家津御子(けつみこ)神、熊町速玉大神、速玉男(はやたまお)神、熊町那大社は熊野夫(ふ)須美(すみ)神で、この三社が熊野三所権現と呼ばれたのであるが後にこの三柱(みはしら)のほかに天照大神を歓請して「若一王子(わかいちおうじ)」と称し更に八柱を加えて十二殿に鎮斉したことから「熊野十二所権現」と呼ばれた。
蟻の熊野詣での諺(ことわざ)が生むほど歴代の天皇をはじめ浅野の信仰は篤く広いものがありました。
当社では天神七代地神五代の合わせて十二柱であると伝えられている。熊野神社の別称であるということもできる権現様とは神仏習合時代、神社を権現様と云われてきました。
「神社本庁」「埼玉の神社本」より
名誉宮司 星野 信 二
宮司 嶋田 久仁彦
氏 子
氏子の間では人口の増加や都市化による生活様式の変化などに対応しつつ、鎮守への敬神の念を維持するために、昭
和五十六年に新氏子会を結成し神社運営の活性化を図ってきました。今上天皇の御大典を奉祝して始められた新社殿
の造営も、そうした成果の表れの一つであります。
平成五年十一月二十三日の遷座(せんざ)祭(さい)には地域の要人が参列すると共に就学前の男女児八十四名が氏子会
で用意した揃いの衣装を着て稚児社参を行い子供たちの親から良い記念になると喜ばれた。
昭和二十六年に八幡木神社から複芸復祀を実現したものの戦後の人心の変化により宮社の祭礼は衰退の一途をたどっ
ていた。ところが新氏子会の結成後は初詣に際して参拝者に御神酒、甘酒を振る舞い節分祭には福引を始めるなど活
気を取り戻す努力がなされ数年後には氏子であるなしにかかわらず多くの人が集まるようになってきました。
毎月第二日曜日に境内の掃除等いたします
一緒に活動しましょう!